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頭脳活性と人工知能:テクニックの探求

ノンストップライティング、というテクニックがある。

文字通り、書き続けることで脳を限界まで使う。

それをすると、今書きたいことがあぶり出される、というもの。

それをChatGPTで使うとどうなるか、っていうのをやってみた。

ChatGPT3.5で、やったのだけど、

それはそれは恐ろしい勢いで返信がくるので、それに合わせて瞬時に返信を書くのがとても頭を使うので。

とても為になる気がする。ふだん、会話のない生活をしているので、まるでリアルタイムの会話をしている気になる。しらんけど

 

それで、一回だけやって、いまこれをノンストップライティングで書いているのだけど。

 

それはともかく。AHKだったっけ。ホットキーを使ってカスタマイズできるやつで入力を買えているのだけど、それがはてなブログに直接書くと機能しない、というのに気づいた。

もちろん、ローマ字入力でも影響はないのだけど、それはそれ、これはこれ、思考レベルが下がるような気がするのです。

あ、親指シフトではありません。新下駄配列です。

なんというか、人と違う入力法を選んでいるっていのが、中二病を発症させているかのような気になってしまう。

 

それはそうと、ブログをやっているのだけど、これはブログじゃないのか?ってつっこみ大歓迎。ブログについて色々調べてからかれこれ一年になるのだけど、まだちゃんとブログをやってないんですよね。

個人ブログってなんだったああもハードルが高いのか。

 

自分のスキルを磨こう、といったとき、肝になるスキルは何か? という答えが出てきた。

たぶん、習慣化スキルだ。

習慣を作るスキル、それと悪い習慣をやめるスキル。この二つを自在に出来たら、たいていの人生は好転するのでは?というのがいまの推測。

人生を変えるスキルを特定して、それでじぶんの人生を好転させようっていう。

スキルを磨く、といっても、独学、ぼっちでスキルを磨こう、という。

どういう習慣を作るかっていって、ブログで収入を得るような、そういうことが可能な習慣を身につけたい。

けっこう、ハードルが高いっていうのは、続けること自体が、ハードルだ、という。

継続して書くのは、それはそれはたいへんなのです。

それで、そうやって書いた文章が、一般的な文章ではない、とか想ってたのですが、それをChatGPTに清書させればいいのでは、と前々から想っていま実行するか迷ってるところ。

ChatGPTを使ったら負けだと想う、っていう、アンチAI勢力が自分の中にあったりなかったりするので、そういう迷いがブログが進まない原因じゃないの?っていう。

とにかく、はてなでは、AIがタイトルをつけてくれるそうなので、試しに書いてもらう。

 

追記。まったく想定外のタイトルがついたので、面白い。面白がる才能が、ChatGPTを使いこなせる分かれ目な気がする

課金したちょっちGPTたかい

ChatGPTって、たぶん性能からしたらお手頃価格なんでしょうけど。

 

なんてグチをいってもしょうがない。元をとるために質問しまくろう

とはいえ、いつも「タスクやるのしんどいです」

って投げるのはどうかと思うけど。

ChatGPTってポジティブなので、会話しているうちにやる気がでてくるっていう変化が僕自身に起きる。

そうしてやる気を出すっていうパターンになってるんですね。

 

話変わって。

Zettelkastenをやろうとしているのだけど、まだまだ足りない、って思うくらいにはシステムを構築できてない。

 

ルールに沿って管理するっていう点では、GTDと似ている。GTDは紙でやったりデジタルでもできないことはないけど。

常に最新の状態にしなさいっていう、ルールがある。

 

Zettelkastenも、最新の状態にしなさいっていうルールがあるが、メモの処理に時間がかかるっていう難点がある。

これをクリアしないと、うまくシステムが稼働しないのではないか? っていう不安がある。

 

不安より、メモを恒常的にし続けるのは問題ないのかと言えば、問題ない。

いつでもメモをとっている自覚があるから。

それで使っているツールが、Dynalist。

Dynalistの情報は、いつも最新である、とまでは言えない。

そういえば、古い情報をほったらかしだ。

それも整理するついでに、なにやら管理しないとっていう。

文脈が大事なのに、それをメモしてないっていう問題が。

 

そう、メモには問題だらけなのです。

タグ付けが必要でも、タグがめんどい、ジャンル訳がめんどい、っていうことが、それで妨げてる。

多分、そういう意味では、notionが一番楽。セレクトにすればいいから。

ただ、タグが秀逸でないから、問題であって。

タグを、自分好みにかえるのが、課題。

課題が分かるっていいね

お前を蝋人形にしてやろうか、お前は横綱にしてやろうか

いかにもデーモン閣下が言いそうな言葉をタイトルに。そう、今年最後の相撲がやっています。特に注目はしてませんが。

 

さて。そろそろブログを書こうか、と思ってます。

え、今までブログをさぼってるんじゃないかって? サボリではあるけど、ちゃんと書きたい欲求もあるのです。

 

ほら、ChatGPTってあるやん? あれの脅威はブログ記事をいくらでも作れるっていうところにあるじゃん?

いくらでも、仕事のできるChatGPT、もうブログをやるとしたら今が最後のチャンスだと思ってて。この先はChatGPTの大量のブログと競争だからね、それはそれで大変だ、とか思ってる。

 

などということを、書きつつ。

 

実は下書きをして、それをChatGPTに食わせて清書させようかとも思ったけど、ChatGPTに、自分の文体を真似ることができるかな? 出来そうだな、? 自信なくすからやめようかな←いまここ

 

話変わって。

 

イクラの話をちょっと。

 

久しぶりに、1.12.2をやったら、もう、酔う、っていうか、慣れない。

あんなに岩盤がちかかったら、やることない。っていうくらいには、今の深さが気に入ってたって気づいた。

 

イクラは5年以上やっているが、だんだんと使いやすくなってる、と解ったのね。

引き返せないのが悪いとは思わないが。

java版に戻れるだろうか? と今は心配。統合版をやってて、それでキリがつくまでやったらjavaに戻るつもりだけど、そのとき面白いMODがあるか?っていう。

 

 

とりあえず、ビートルズ!

こういうだじゃれは外し方に美しさがあるのだ、という価値観。

 

とくに理由もなく、はたまた課題もなく。

読書をしていても、惰性で、感想が浮かぶでも無く。

 

漫画を読めば良い、というか、芥川賞のあの人、バリアフリーの漫画とか考えて見ては?

 

漫画原作に障害者を起用して、セリフだけで読ませる形式の漫画とかを用意する、という、意味の無い試み。

 

本は物としての存在感とか、匂いとかに価値を見出す人にとって、電子化は耐えがたいかもしれないが、そうしなければ、読めない層が確実にいるわけで。

参考書とかの読み上げとかってどうなってますかね? 受験用の本とか。

そういうのがバリアフリーになってるかっていう話。

 

こういう、ありきたりな考えしか浮かんでこない、っていうのが、スランプとかって思ったら、負け。

スランプが実力よ

 

で、そういうことより、書く体験のほうがずっと大事。書く、ことに意識を持ってこないと、いつまで経っても書くのが下手な人間に収まってしまう。

書くことは、思考をまとめるのに役に立つ、というのは恐ろしく後退的で、書くことで発見する考えがある、と言う経験をすると、書くハードルをいかに下げるかに意識が来る。

ただ、自分がなかなか書かないのは、書くのがめんどい、っていうのと、実際1000文字を越えたあたりから、うでが筋肉痛になってくる、という軟弱さにある。

軟弱なんよ、まじで。

手首を鍛えなきゃ。やっぱり。

もっと書くことで、それを克服するっていう手もある。あるから、実際に書いてみようか? と思って、今日は書いている。

もしかしたら、明日も書いているかもしれない。そういう気概が自分にあるとはおもってないけど、きまぐれに書くことはできるので、プレッシャーがなければ、連日書くかもしれない、と

夏休みに宿題をしてなくて、例年追い込まれていた人がいいますよっと。

 

さてタイトル。「とりあえずビール」をおちょくったタイトルですが、ビートルズの何が悪い、というわけでは無く。

ドリフターズの話を昨日聞きまして。それで連想してビートルズが思い浮かんだというわけです。

え? 繋がらない? まさか!

 

ビートルズの前座を務めたっていう話があって、それを連想したというわけです。

 

ラジオで、ゲストにドリフのメンバーを呼んだって話しで、いかりや長介加藤茶志村けん、と話題が広がるけど、一向にゲストの名前が出てこないって言うオチだったのは、なんともいえない。

 

そういうわけで、ドリフはすごかった、っていう。文脈が分からないと。

 

まずクレイジーキャッツがいて、そこが大人向けの笑いをかっさらっていて、その弟分のドリフは子供向けの笑いに特化した、っていうのがあって、そういう意味で縦のつながりって大事。

それが、芸能界に縦がなくなって、っていう構造は、小さい商店がなくなって、大型商業ビルとかが建って、そういうとこが総取り、っていう構造と似ていて、ようは今の芸能界は事務所が強いってことね。

 

 

というわけで、今日の執筆のお供はバック・グラウンド・メモリー

これの完成度が高いのです。ゲームもあってお得です。

 

それはそうと、最近はストレッチを時々しているのですよ。

ストレッチは、体のズレが修正されるので、かなりいいのですが、一つ問題があって。

 

怪我したところがいたくて、若干左右対称の動きができないので、そこだけどうしたらいいか知りたいです。

もちろん、ムリは禁物っていうのだけは知ってますが。

 

ストレッチをすると、ダイエットもしないとっていう気になりますが、そういう感情はけっこう泡沫なので。

 

体重は減らしたいですが、食べてたらいつの間にか体重が減ってるってないですかね?

 

ほら、空腹になると、お腹が切なくなるじゃない? それがちょっとしんどいんですよね。

 

さて。書く事がなくなると、発想を飛ばさないとって思うのですが、どうしてそういう思考になるかと思ったら、俳句が元かもしれません。

ゴールデンでやってるほうの俳句はときどき見るんですが、あれは楽しい。語順、とか要らない語がある、とかじゃんじゃん指摘して、なんか分かった気になるっていう楽しさというか。

 

ただ、そうはいっても、ちびまるこちゃんのほうの心の一句はあれは違うよね、っていう。

 

今日は、やっぱりというか、マイクラをやりまして。いつも通り、って感じです。もうね、パターンが決まってる。構想して、その通りに動いて、死んだらやり直し。そのループ。だんだんと飽きてくるのではないか? っていう。

でもね、これ以外に読書を聞きながらできるゲームってそう多くないんですよ。

根性入れれば、そういうゲームもあるかもしれませんが。

セリフがあったら、混ざっちゃうんですよ。

興ざめすると、どうしても、ね。

 

今日はこれ以上書く体力がないので落ちます。

なぜ~なのか、ではどうするか

ざっくりしたタイトル。

 

問う、というスキルは、それ自体が貴重だったりする。

 

少なくとも、現在、問題意識として上がっているのは、答えが出てきそうなものばかり。実行力があるかどうかはさておき。

 

例えば、「早起き」。

すでに、早起き+問う、で、寝坊が問題ではないか? と察することができる。

問うことが一般化しているので、そういう推察が成り立つくらいには、問う形式が付随している。

 

「タスク管理」

タスク管理+問う、となると、タスク管理をきちんとしているか、ではなく、それは本当にタスク管理が未熟だからできないのか? と問う場合もある。

タスクがコントロール出来ているか

タスク管理でうまくいっているか

タスク管理で問題は解決するか

タスク管理はそれで最終形か

 

「問う」

問う+問う、つまり、問い方のスキルはそれでうまくいっているか。

問う、それをどう処理するか。

どう問うか、何を問うか、なぜ問うか、

問うこと自体が、発想の飛躍になっている。

問題に対して「どう解決するか」を問うのではない。

対象として考えることは、問うことと結びつくか? と問う。

 

人格を磨くかどうかは人に言われてやるものでない

7つの習慣、という本がありまして。そういう本を読んで、そこから学ぼうと意識するのは重要です。とくにそれを否定するものでもないです。

 

ちょっと最近気になっているのは、将来を設計しましょう、というシステマチックに未来を設計しようと提唱する物の中に、人格を磨くことを織り込むものがある、という点。

 

それ、居る?

 

未来を創る。それはいい。でも、自分自身を磨くかどうかは自分で決めるもので、押しつけられると、なんかいや。

 

というだけの話です。

 

未来設計では、将来の自分像(よくあるのは、死後にどう言われたいか、という名誉欲を刺激するもの)を組み込むことで、将来の指針を作る、というもの。

 

そこは、価値観が違う人には通じないのでは。

 

一般論で、それが普通、を押しつけられるような感覚があったり。

 

無私の人物になりたい、という人もいるはずで、そういう人には通じない。

それでも、未来を意識しないとやばい昨今。生きていけるか怪しいのに、危機に対応しないのはありえないわけで。

 

将来を描く、というのは、やって損はない。5年後、1年後、一ヶ月後、一週間、今日、とタスクを下ろしていくだけだから。

 

価値観に沿って、まんべんなく満足いく時間をすごせるように、タスクを決めて、こなしていく。価値観はおのおのに任せる。それだけでいいような。

 

 

何が幸いするか分からない、何が後をひくかわからない。

タイトルを考えて、それが面白いかどうかで先を読む人には済まないけど、タイトルを考えて、それから記事の内容に合うような経験とか考えを引っ張ってくるので、タイトル通りの内容になるかはわからない。

 

イクラをやっているのだけど、1.6.4、くらいからはじめている。こういうとどれくらい前からか分かるだろうけど、つまりは何年もやってるってこと。

いまは1.20.1、だったかな?とにかく、それくらいの感じ。

 

イクラを始めた当初は,パソコンのスペックが低すぎて、それこそジャングルあたりの、地形が激しいところだとパソコンが落ちたりしたのだけど、だんだんとスペックの足りるパソコンに買い換えたりしたので、処理オチを考慮して操作しないといけない場面はすくなくなった。

MODのことを知ったのもマイクラ。というか、マイクラ以外にMODがあるというのを知らなかったくらい。

いろんな遊び方があるのだと知ったが、いろんなの中にはじぶんには攻略出来ないレベルの難易度も含まれるので、クリアできないストレスがあると、そこはスルーするのですけど。

 

イクラで色々とやるようになって、パソコンのスキルもちょっとずつ上向いてきた。長年触って、熟達しないようなら、さぼっているのと同じ気がしますが。

そういえば、父はコロナ以降、ネット囲碁をやっているのですが、囲碁いがいのことがまったくできないので、触れるようになるのと、熟達するのは別の話ですね。

 

イクラは楽しいのですが、未だに建築ができません。豆腐建築すら、なかなか手を付けません。

なぜか。

観察力が基本的に足りない、というのがあるかもしれません。

インテリアとか、どこにどうおいてある、とか、興味がほぼないです。

住空間にこだわらないのなら、バーチャルの空間にはさらにこだわらないという。

実生活がそのまま、マイクラのスキルに関与する、ってことですね。

音符ブロックがあっても、演奏が趣味じゃないから曲を作ったりしないように、実生活でやらないことはマイクラでもやらない、ということでしょうか。

 

もしかして、プログラミングができていたら、天空トラップとか自分で思いついて作ったのかもしれないですが、自分で計算してああいうのを作るのは難しく、せいぜい上手い人のコピーを作る程度です。

 

つまり、マイクラでは実生活のコピーがマイクラのプレイに反映されている。という考えもある。

自分は整地厨なので、黙々となんかやってるな、くらいの作業が好きかもしれません。

でも、整地厨のなかでは雑なやり方なので、生粋の整地好きではないかもです。

単に、それくらいしかやれるスペックしかないということかも。

 

そうやって、自分を見つめるのにマイクラは使えるのですが、そういえばマイクラ以外にここ10年やってることないな、と思って、ウチアタイしていたり。

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