今日のボカロ一曲。
読書前の感想。期待度の大きさが襟を正す。
リーダビリティを保つ、というのも、大きな目標。
発想の手がかりは得た。それを形にするのはまた別の問題。
形を与えられていない、未問題こそ、注目に値する。
例えば、「強さを求める」という指針があったりする。
その指針は、生物として普遍なもの。
人間の発想の外側の原理原則に従うもの。それを知覚できるかという問題はあるが。
それと、性格が追い求める性質として、「知性をいかんなく発揮する」という指針もある。
そちらの指針のほうがしっくりくるのだけど、それを言葉にしようとすると、普通は表現の問題にいきあたる。それは、あらゆる知的レベルの人間に響く言葉、というのを想定しにくいから。
ただ、背伸びしたいというお年頃の、「背伸び」に当たる知的活動が、ここでは表現されている。
果たして、大人になってからの「背伸び」とは、いかなるものか。
おそらく、常識という、平均値からは大きくずれたものになる。
常識的であろうとする、群れとしての生き方から外れることになる。
はぐれであろうとすることは、強くなければならない。でなければ飲まれてしまう。
「個としての強さ」と「卓越した知性」は共存できる。いや、共存しなければならない。
人間という、脆弱な生命は、その特色である知性に寄ってしか生きられない。
それはあくまで自然の理のなかでだが。
というところまで夢想したが、タイトルといくつかの感想を読んでの予備知識でこういう文章を綴ったがたぶん、『勉強の哲学』はもっと面白い内容にちがいない。