掃除はなぜ最適化されないのか。
今日は自分の日じゃない、的な言い回しがあるらしい。
それを言ったら、誕生日にどえらい目にあった銀河鉄道の夜は大殺界か天中殺か。
車の中でどんな曲を流すか問題は、自分の好きな曲を流すか、モテ要素を入れ込もうか、で変わる気がするのだけど。
クラスの人は全員仲良し、という幻想を抱く教師に付き合いきれない、という生徒がでてくるのは仕方ない。それは人間を知らないと言ってもいい幻想だから。
数学者が難問に取り組むと、常人には計り知れない理由でドツボにはまることがあるらしい。オタクがジャンルにはまることを沼というが、海にハマるに変えよう、と提言があった海の日。
小さい子がユーチューブを見るのは暇だから。昔のテレビと同じ役割。
政治家が想定している、国民の理想的な家庭は、もうほとんどないらしい。それこそ、地盤・看板・鞄を引き継ぐ政治家くらいしか、そういう理想的な家庭はないのでは。
仕事の成果は説明できたほうがいい。農家だったら収穫期にどうなる、ということ想定して、その逆算で現在の行動を取っているわけで。ちゃんと逆算で仕事を片付けてますよアピールは要る。
今の、野球をプレーしている人より、野球のルールを作った人のほうが断然楽しかったはず。その努力の残り香が、楽しさを想起させる。
一日、ネットを見ていると、何かは思いつく。記録さえ残しておけば。
依頼人は、実は自分が何を依頼したいかを知らない。素敵なプレゼントをくれる人を、できるだけストレスなく探したい、というのが本当のところ。
コミュ障が増えたのは、要は空き地がないからだ。遊びは創造的なものであり、プロジェクトだ。みんなで遊ぶ、というミッションを核にしたプロジェクトだ。子供でもプロジェクトマネージャーなのだ。遊ぶ機会を失った、というのは、そういう人材を育てることができなくなったことになる。
つまり、これから日本を変えるなら、昔懐かしいガキ大将を作るべき、と言い出す老害がでてくるかもしれない。
スケジュールを立てるとき、一番気をつけるべきなのは、結局どうなりたいのか、を明確にすること。
人を育てたい、と言いながら、逆のことをしていないか、注意が必要。
礼儀は進化している。いわゆる老害は、今の礼儀の流れをみていない。
タネを植えよう。それしか、贈り物を受け取る資格がもらえないから。