今日のボカロ一曲。推す前に殿堂入り。
上から目線は悪?
以前、同じサイトだったかな?理解できるように話すことと、理解することは違う、みたいな話があったかな。
構造を理解してもらうには、類似したケースに例えるとか、直接理解には関係ない部分を端折るとかして、イメージだけ伝えればいいけど、理解するとなると、その例えでは再現できない、みたいな。
伝える側は、圧倒的に情報量が多くて、学習時間というのがネックになるから端折る、という感じです。
リンクの話だと、デジタルの経験量が違いすぎて共感を生むことができなくて馬鹿にされたと感じたのかも。
プライドが邪魔をするんでしょうね。
プライドが何か、という話は今は関係ないですが、ちょっと引っかかる。
当たり前の話だけど、教わる時は、相手が立場が上です。だから上から目線です。
要は、受け取る側が、学ぶ気があるかの話になってきます。
停滞から抜け出したウメハラ目線
ウメハラがウメハラを演じるようになってから、つまらなくなったという。
期待に応える、その判断を主体的に選んでいない感覚が感情を鈍らせていたようで。
他人の期待は、他人の価値観が元手。自分の魂には響かない。
そこから、ココロの向かう方に従うほうが面白い、とウメハラの目線は進化した。
憤慨した方の目線はどこを向いているか
そこで、最初のリンクの話に戻るが、怒るという手段は、本当に必要だったのか。
ただのパワーゲームになっただけ、のような気がする。
少なくとも、教えてくれることに感謝していたら、ああはならなかった。
もしくは、妻に良いところを見せようとしなければ。
ああ、多分、そっちの可能性があるか。
夫婦で来ていたから、引くに引けないなんてことがあるか。
うん、良い夫を演じようとして、失敗したと考えると筋が通る。
その夫婦にウメハラの講演を聴いてほしいな。