Aという情報とBという情報。そこから得られる結論は、Cだ、というのが知的生産らしい。
ペンパイナップルアッポーペン、ではないということ。(笑いは笑いで知的だが)
海外の情報を、いち早く翻訳して流す、という試みは、あり。翻訳という手間が必要だけど。あと、流通の概念に近いのかな? バリューがないとね。
ブログというアウトプット先も考察の一端。コストをかけて良いか、という判断基準は確実にある。
書道家という人がいる。これも知的生産だ。
書を、アートに変換する、という作業をしている訳だ。
アートは、デザインと技術の集大成なので、容易に真似できない。
上記のような、情報の再定義こそが知的生産だ、という意見もあるかもしれない。
ただ、それをどう届けるか、ということを含んでのことかもしれない。