タスクの実時間は読めない。
とくに、空間把握能力のない人には困難だろう。
しかし、タスク管理はそれを求められる。
だから困る。という話。
タスクの中でも、知的生産は、特に読みにくい。
例えば、文章を書くタスクがあったとして、推敲の時間も入ってますか? という感じだ。
推敲は、どれくらいやれば正解か、なんて、個人によって違うのは明確なのに、それを一般化してみようなんてチャレンジングなことしていいんでしょうか。
まあ、確実に一定のスピードで書けますよ、どやって人は、単に時間を区切るだけで良いかも入れませんが。
プロットをどの程度練れば、完成品を作るのに十分か、というのが分かっていれば良い。
あるいは、workflowyのように、書きながら推敲する形だと、時間の見積もりってどうすればいいのだろう。
時間で区切って、成果の%を測って、進み具合を測るくらいしかできない気がする。
こういう風に書いていて、結局、経験しないと分からないじゃないか、ログを取るのがまず先だ、なんて結論になりそうです。
しかし、前例のない作業なんてものもあるだろうし、ある程度、未知の状態で作業を進める方法は確立したほうがいいんだろうな、とか思ったり。
想像、以外の作業が、きちんと習熟しているという感覚があるなら、なんとかなるかもしれない。
自分の場合は、文章を書くのが得意ではないフレンズなので、負荷として、能率が下がる傾向がある。
文章を書くタスクを見積もるのはとても苦手だ。
だからといって、能率の低いまま、タスクをこなすのはどだい無理だ。
あと、イシューの見極めもできているか怪しい。
書いていて、修正が必要だ、となった場合、それまで投資した時間がまったくのムダになってしまう。
それは避けたい。
避けたいが、できないものは仕方ない。
これから先も、特に代わり映えのしない文章力だろうなと諦めの境地だったりする。
そういうことを書くから、文章力は上がらないんだよとツッコミを入れたり。
ああ、希薄だ。知的生産をしていない。