復習のために書く、といういわゆるミイラ取りがミイラになる、みたいなこと。
コンビニは、中国では人が居なくても動くようにし、日本では外国人を雇うようにしている、というどっちが時代錯誤かという問題。だんだんと中世っぽくなっていく日本のやり方に疑問をもつのだけど。
発想が貧困なので、何を書くか決まっていない。それなのにメモすら取っていない現状。インプットが足りない。足りなきゃ書けないのも当たり前。
自分は、ググるような内容は自分にしか要らない情報だと認識しているが、例えばボーカル抽出、みたいなテクニックもいろいろとやり方あるんだな、みたいに思っていて、それのやり方を紹介することにブログを費やすことを考えていないのは、もったいない気がする。ボーカル抽出、要りませんか?
クッキークリッカー飽きてきたな、といういつの時代のブログだよ、みたいにつっこんでいたり。数年ほど取り組んでいた知り合いが、ついに止めたという情報にそりゃそうだ、とか思ったり。
面白い話を書こうにも、過去の話から引っ張ってくるテクニックが要る。この辺の加減が分からない。過去から引っ張る感覚がわかるかな。死語使い、というありがたくない中二病的称号がついてきそう。
そろそろブログを書こうかな? と思ったり。今まさに書いているのがブログなんだけど、感覚的にブログというよりツイートに近いので、ブログ的記事にしたいという意味なんだけど、しかし、重大な欠陥が自分の文章構成力にあって、長い、あるいは構造的な文章を書くことができない。そんなんでブログが書けるのか。
面白い話を書きたいのだけど、自分的に面白い話が他者にはそう思えない、あるいはポイントを外していると感じるわけで。