というのも、文章を論理立てて書くことができないからだ。
ブログを書く上で、例えば目次を作って書く、といったことが出来ていない。
読みやすさを言えば、目次があったほうが読みやすい。
書いている内に、シチュエーションが絞られてくるがシチュエーションを正確に認識しているほうが、もちろん上達しやすい。
それは、例えば筋トレでどの筋肉を意識しているかで成果が違ってくるのと同様の効果があるからだ。
ドラッカーの著書には強みを活かせ、という思想があるが、ドラッカーはインプットもアウトプットも強みだから出来たことかな? とちょっと思った。
自分は文章能力に弱みがあるから、単純なアウトプットを行程に入れることが出来ない。
アウトプット自体を学習によって強化するところから始まる。
アウトプットを強化する。
単純に言ってはいるが、強化自体のやり方、手順、みたいなものが想像つかない。
表現の制限があるわけではないが、表現は、表現力に依存する。
何を考えているかは、コントロール出来ても、何を表現できるかはコントロールできない。それは意図的には完了しない。
俳句の番組コーナーで、先生がよく言っていることだが、表現したいことと書いたことに乖離がある、というものだ。
これは語彙力の問題ではない。
語彙力の問題だと、表現したいことをつたなくしか言葉に出来ない、という事態になる。正確性は変わらないのだ。
表現力の問題だと、思考を書き写す、という簡単な手順を取ることができない。歪んでしまうのだ。
これで伝わるだろう、と思って書いたことが、想像の意図とは違った受け取り方をされるということ。
事実を書いていない、抽象的な書き方になる、ということだろうか。
ここまでの文章で本質に迫っているのは分かるが、今まで出来ていなかったことだから、認識しづらい。
言い換えに言い換えを重ねた状態で、今は書いている。
なので、前後の文脈が繋がってなかったりもする。
意図した文脈、というのがくせ者かもしれない。
偶発的に、前後の文章が生み出す語感はあるが、それを認識が邪魔することがある。
まあ、アウトプット能力を高める、という指針を見つけられたことだけでも、この文章を書いてよかったと思える。