目的に寄るのだろうけど、思考を言語化するのは難しい。
ちょっとした気づきを言葉にするには、当然前もって気付いている必要がある。
しかし、このブログでは、たいていの場合は書いている最中に気付いている、ことが多々ある。
動的な思考が、言語化する価値のある文章を生み出すことがある。
もちろん、そうでない駄文もある。それはそれ、よそはよそ。
文章を書くことを生業としているのではないから、そこまでこだわらなくてもいいかもしれないが、文章には多少の自信があったりする。多少。
俳句のように、17音に意味を込めるのとは違い、多数の音数をかけてもいいのだから、思考を書く、というのにこだわるのなら、大量に書くのがいい。
しかし、書くのは、手癖というのが出てくる。また、同じような文章を書いた、みたいな、間の抜けた文章を読ませることもあるかもしれない。
まあ、たいていの人にとって、この文章は価値がない。
読んでもらえるか、分からない。
読まれなくても良い、という一種の逃避が、心の安寧には役に立つこともある。
何が役に立つか、というと、トライアンドエラーが一番役に立つ。試行錯誤、は錯誤がなじみがない。エラー含みのトライが許容されている、という環境こそが価値がある。
つまり、下手なことを書いても『ごめーんちゃい』って言えば許してもらえるような状態がいい。