ボカロとマイクラが好きな、聴くブログ

ボカロとマイクラが好きな雑記ブログ

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毎日ブログを投稿しよう、と思ってから24時間がたった

ブログ、というメディアで書いておこう、という志があるわけでもなく。ちょっとした意識改革です。

ブログとしてフリーライティングをすると、一体何を書くのか。というか、単純に、人の目を意識しないでかいた文章が使えない物だったので、ピリッとした緊張がほしかったという。

何か、題材があればいいのだけど、それを言っても、発想が出てこない。今聞いているボカロの話をしてもなー、という。ボカロを語っちゃいかんのん?

ボカロでね、大抵、最近の曲っていったら、3年以内の曲を指すんじゃないかな、というのが観察から得られた感想。3年。たったの3年で寿命が来るのか?

いや、千本桜はどんだけかけんねん、ってくらいテレビでも露出しているし。

ここで、自分のファーストボカロが千本桜というのが痛い。刷り込みで、これが標準のボカロだと思っているから、それ以下の再生数だと凡作っていうイメージ。大まかに言えば。

そういう不都合を持ちながら、では、一般の曲の認識はどうなっているかというと、多少、アニソンを聞いているくらい。それも、かじったくらいで、曲名すら知らない。そう、曲名覚えないので、カラオケでえらい目に会うのは私です。

さて、こういう風に偏見がちなのにボカロについて語ろう、的なのはムリなのです。どう考えても、公平な見方ができない。

いくつか、発表当時は苦手だった曲はある。理解の範疇から外れた、若者の感性に刺さるように作られた曲とか。

脱法ロックとかが意識した最初かな? あれをちゃんと聞くのは、絵に慣れるのにずいぶんかかった。

ああいうのがちょくちょく生活圏に入ってくるのが今の若者なのか? 的な感想をもったり。

そういう感性があることに驚きつつ、なんで驚くのかを考察したり。そうなんだよね、あれ、作った人物の精神構造とか多少気になる。

デスってる訳ではない。くっきーさんの絵が評価されるのは、そういう価値観を持った層が、一定以上居る、という証左だし。

ディスる、がちゃんと打てるのに、適当にごまかすタイピング。

おお、まともな文章になっている、と感動。発想が、書く前には1ミリ程度だったのが、書いてみると成長して一見して何か言っている風、というのが素晴らしい。自画自賛

書いている最中、ツイッターが見れない、なんていうどうでもいいことを思ったり。ながら作業のながらって、何ができるのが理想か問題。

理想にはリソースが必要なのです。

だじゃれの価値、というのがある。

だじゃれが発想を飛ばすきっかけになることもある。能動的にやることもある。

大抵、大やけどをするけど、たまには良い結果をもたらすことがある。それがやめられない。まあ、パチンコと一緒。

パチンコで思い出したのがエヴァンゲリオンだけど、音楽を思い出そうとしてターミネーターの曲を合わせたのは間違いでした。

そういえば、エヴァンゲリオンのトリッキーな動きにはモデルがいる、という話があったり、ポニョのモデルが動きそのまんまなのをテレビでたまたまみてたり。

千と千尋で、ラーメンを両親が食べているシーンで、自分の動きとそっくりなキャラを書くアニメーターが居たのでは?っていう疑問が。アニメで自画像を描く羽目になった人物は実在するのか。

そういった疑問とか、放置している、まとまってない記憶がいろいろとある。ちゃんと書いて、供養してあげるのがいいんだろうけど。

そのための新しいキーボードです。

そ、配列を新下駄配列にしただけでは飽き足らず、エルゴノミクスキーボードを買ったのです。

ちょっとでも、手にかかる負担を減軽しよう、という発想。でないと長時間書くことができないから、というありがちな話。

そう、ブログを書く、という話もそこから来ている。

毎日書く、というのは、他人の目がない状態では既に書いていたけど、それでは問題がある、と思ったから。それは思考に張り合いがなくてダメなんじゃないっていう。

書いている内容に自信があるわけではない。多分、100日くらい、それこそ誰かがくたばるくらいの期間、続ければ効果があるかも。

だんだん手癖が見えてきて、それをどう修正するか、みたいな話になってくるのではと予想。

予想は予定外で感想は未知。

それっぽい言葉を(考えずに)挟むと、勝手に相手が深読みして沈んでいくという。そういう策略でそんなのにかからない人がたくさんいる。

そうそう、ボカロ以外の趣味で、なろう小説を読む、というのがあるけど、あれも特徴的なんですよね。

おお、考えてたことをロストした。忘れる時は、きっぱり忘れる性格なので、言い淀むと、その直後に、相手が気をつかって言って良いよ、と話題を振っても、とうに忘れているので困惑するという。

たまたま記憶が戻ったけど、文字数っていうのを基準になろう小説を読むことが多いんだけど、アベレージ、平均文字数が2500字以上ってのがよさげなのの基準と認識してる。

そうなると、このブログも平均2500字を目指すべきではないか?と考える、多少見栄を張って書けるぞ、と思って書いてみるのだけど、やっぱり2500が遠く感じているようでは、ブログを書けている感じがしないです。

知り合いには1万字のブログを基準にしてるひとがいて、そんなに書いてどうするの? という純粋な疑問。

さて、ここまで書くのにどれくらい時間がかかったか。40分ジャスト。

そんなもんか、1時間で2500字くらいは書けそうだな、と取らぬ狸の皮算用をしてたり。

毎日毎日、そんな書くことがあるわけがない、と思うのだけど、。

プロは書くことがなくなってからが勝負、という言説がどこからか流れてきたり。

短距離走で、追い込んだ後にもう一本走るのに似ている。

限界、と思っているところから絞り出すのが、コツだと思っている人が結構居るってことね。

多分、なんらかの実感を持っていて、それを他人も持っているだろうと予想して押しつけているのだろうけど、それは相手が覚悟している場合にしか通用しないという。

嫌がっていることで、それをやられると、メンタルがやられる、という単純な構造。

というわけで、メンタルの保護のため、ブログの毎日投稿はしないぞ、と逆に誓ったり。

 

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