ちょうど飽きてきたころ
なかなか本に書いてあることは正確だ。
ブログを書くのが習慣化するかは今が正念場。
読者がいるわけでもないのによく頑張りますね。自分で自分を褒める。
実力がないのにこういうのを続けるのは、どうなんだろう。
自分より頭のいい人がいるからブログを書かない
という選択もあるのに、なぜブログを書くのか。
自分と同程度の人には分かってもらえるからね。
しかし、実際には、「俺のほうが賢い」と思われてそう。
雑談くらいなら、それでいい。
東京論を語るには東京を知らなきゃいけない
その点で、田舎者を廃絶していると思ったりする。
最近のテレビは面白くないですよ、そりゃ、東京という一地方の選挙を全国ネットで放送するという愚を犯してるんだから。
あ、東京の人はそういう視野なのね、くらいにしか思えない。どこかの放送局が北朝鮮ばかり報道しているのとそう変わらない。
日本語圏論としての東京は、というと、日本語の情報は、だいたい東京に集まるとみていい。そして東京との距離によって、情報の価値が定まる。ハブは東京ってこと。
ただ、これは想像でしかない。東京というのは、そういう存在なのではないか?という空想。
「眠らない街、東京」、って言い方は現在しませんね。コンビニが全国にある都合、全国で眠らなくなっているから。ただ、東京限定のサービスが、地方に拡充していく傾向はあるよね。良いものだけがそうなるといいけど。
そうだな、ウィキペディアでいうと、英語版の記事数は3800万記事、日本語版は100万記事。実に38倍の記事数の開きがあるわけだ、英語版と比較すると。母語で言えば英語は5億3000万人らしいが、ネットで英語を使う人は8億人とされている。こっちは8倍。
ただ、人口が集中している大都市、という定義だと、東京が一番になる。日本語話者の3割5分くらいは東京圏に住んでいることになる。
日本語で生活する分には、東京を知らないと話にならないような状況といえるのではないか。英語話者なら話が変わってくるけど。
論理的に言って、論理力がない
論理的に解くことは、ある程度の力が必要だ。私には力がない。よって、私には論理力がない。
見事な三段論法。これが論理力がないということなのだよ、ワトソン君。
そもそも、論理的に考えるには、前段階で考えたことを覚えておかなくてはいけない。それを、時おり忘れるのだから、論理力が信頼おけないものになっている。
考える筋道のことを論理という。その筋道を忘れる。よって、論理が破綻する。うん、この時点では矛盾はないな。
論理的に考えることがなぜ重要か。ブログを書くときに、文章がシッチャカメッチャカだと読み手が困るから、だろうか。読んでもらうのが目的だからね。
そんなことをうだうだと考えている暇があったら、もう少しアレだといいのだが。
いいことが回る人と悪いことが回る人
www.pilattu.comいいことをしたら回ってくる。これはいい話。
www.asahi.com悪いことをしたら、両親に悪いことが回ってきた話。これは悪い話。
前者は、恵まれている。後者は、生まれつき障害を背負っている。障害をもって生まれてきたことが遠因で、賠償することになった。
普通に考えたら、子は産んだことを恨むだろうし、親は子を恨むような状況になっている。部外者がどうこういうことではないけど。
ただ、いいことをすればいいことが返ってくるってことを知ってほしいし、いずれ解決する問題にも思える。飛び降りさせられたほうと和解するかは別として。
そろそろ始まる残酷な話
高校野球で、どれだけ消費するか。
カイゼン論が述べられるとして、それが高野連に採用されることがあるのだろうか。
それは、世論が動かすべきだとおもうのだけど。
もし、動かないとすれば、あまりいい表現ではないが老害ということになるだろう。
高校野球を「残酷ショー」から解放するために――なぜ「教育の一環」であることは軽視され続けるのか?(松谷創一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース
始まる前に、前回話題に上ったことを反省するのはありだと思うのだけど。時代錯誤だと言わないのだろうか。