ざっくりしたタイトル。
問う、というスキルは、それ自体が貴重だったりする。
少なくとも、現在、問題意識として上がっているのは、答えが出てきそうなものばかり。実行力があるかどうかはさておき。
例えば、「早起き」。
すでに、早起き+問う、で、寝坊が問題ではないか? と察することができる。
問うことが一般化しているので、そういう推察が成り立つくらいには、問う形式が付随している。
「タスク管理」
タスク管理+問う、となると、タスク管理をきちんとしているか、ではなく、それは本当にタスク管理が未熟だからできないのか? と問う場合もある。
タスクがコントロール出来ているか
タスク管理でうまくいっているか
タスク管理で問題は解決するか
タスク管理はそれで最終形か
「問う」
問う+問う、つまり、問い方のスキルはそれでうまくいっているか。
問う、それをどう処理するか。
どう問うか、何を問うか、なぜ問うか、
問うこと自体が、発想の飛躍になっている。
問題に対して「どう解決するか」を問うのではない。
対象として考えることは、問うことと結びつくか? と問う。