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しりとりの戦略

しりとりは、ゲームである。

ゲームである以上、勝ちを目指すのが普通である。

「勝ち」の定義は、ゲームを通じて人間関係を豊かにすること、とする。

勝負の勝ち負けは、戦略上、それほど重要ではない。

というのも、ギャンブルと違って、何かをかけることがほぼないからだ。

しりとりを行う動機は、時間を潰すのが目的で行われることが多い。

なので、ある程度は空気を読んで加減をすることが望ましい。

 

 

まずは、同等の力量だとして、真剣に勝負をした場合の、ガチでの戦術について考えてみる。

基本的な戦法は、自分の知ってる言葉を残しつつ、相手のストックを減らすことにある。

レアな言葉ほど、後から使うようにすればいいのだ。

具体的には、2文字の言葉から使っていく。次に3文字。

そうして、相手がどの戦術で来るか、様子見をするわけだ。

そのまま、相手がラリーを続けようとするなら、友好的にゲームをすればいいけど、もし、「~攻め」という手にきた場合、対処しなければならない。

 

有名なのは、「る攻め」。単語が少ないのだから当然なのだけど。次に困るのが「ず攻め」と「ぷ攻め」。予測してないと、対応は難しい。更には「り攻め」という手もある。

よくあるのは、「ルール」など、カウンターをすぐ仕掛けるパターン。しかしそれは悪手である。

ターンが浅い場合、簡単に返されるのである。

相手が「る攻め」で来ているのが明白なら、別の語でラリーを続けて、「る」が出尽くした辺りで「ルーブル」とか返すのが効果的。

攻めたのを逆にとがめることになる。

 

 

さて、もし対戦相手が、幼児だった場合も考えてみる。

今度は逆に、4文字以上の長い語で答えるようにしないといけない。幼児は知っている言葉が少ないからだ。それくらいのハンデをつけてもいい。

そして、幼児が長い言葉で答えたら、褒めるのがベスト。間違ってもガチモードで接してはいけない。答えに詰まっていたらヒントを出すくらいがちょうどいい。

それから、小学生の場合。場合によっては、3文字しばりとかで制限したほうがよりゲームを楽しめる。

 

 

ここまで書いたパターンは、友好的な場合。

しりとりには、禁じ手があったりします。

それが「鼻血」。

次に「ぢ」で始めなきゃいけないけど、そんな言葉はないのです。

そういう相手とは、やりたくないな、とか思ったら、さっさと負けるのも手です。

ライティングは修行

www.naenote.net

修行というと、瞑想とかそっち系になるわけだけど、筋トレの方向性は「増加」にあるわけで、修行の方向性は削減とかシンプル化になるかな。

 

ただ増やせばいい、ということではない。もちろん、法則性があるのだから、合理的であるのは当然。脂肪と筋肉は違うということ。

 

ところが、修行というと、動作そのものを研ぎ澄ます、という方向性になる。ムダな動作を省くのだから、トレーニングという発想自体がなくなる。

 

トレーニングはノルマだけど、修行は「必要にかられて」自発的にやることになるかな。

筋トレは一定の効果があるのだけど、守破離の守に当たる。

 

……とかいう妄想を働かせて、考えてみるのだけど、ライティングはおもてなしではないか? とかも考えたりする。

文章力というから、パワーだと思うのであって、エネルギーだと思えば、いかに人を動かすかということに焦点を当てることになる。

利に聡い人は、文章を読めるかもしれないけど、一般の人は、面白くないと読まない。

楽しい、という動機は、バンコク共通なのです。

苦行は修行じゃないってことね。

カテゴリーは補助線

最近、どんなブログを書くか考えているのだけど、カテゴリー分けをしてないから『どういう傾向に興味があるか』自分でもはっきりしていない。

日本十進分類法を適用しようだとか、Yahoo!知恵袋カテゴリを採用しようだとかは考えてない。そんな多岐にわたる発想はないから。

「ノウハウ」「まとめ」「雑記」「ニュース」「主張」

ちょっと考えて、分類するならこの5つかな?

自分がまとめ記事を書くことは考えにくいけど、分類するとそういうカテゴリーも必要になってくる。

5つの分類を、シンゴジラで例えると、

「ノウハウ」

シンゴジラの考察。

「まとめ」

シンゴジラ、感想まとめ

「雑記」

シンゴジラの個人的感想

「ニュース」

シンゴジラエヴァQを越える

「主張」

シンゴジラ、第二形態をきもかわいいという人とは相容れない

 

お、これだと雑記と主張の違いが分かりにくいな。

雑記だと、どういう捉え方をしてもいい。主張だと、言いたいことがある。それも分かりにくいな。

いや、シンゴジラ縛りで考えたのが悪かった。

ちなみに、今回の文章は雑記に当たる。

超絶面白いエントリーが書けない

書いている間はいい。ドーパミンが出てるから、ちょっとくらいは面白いんじゃないかと錯覚するわけだけど、いざ公開すると、反省しきりになる。

面白いエントリーが書けない→だからスランプだ、みたいな単純思考だと、今までスランプじゃなかった時がいっこもないことになってしまう。

「純粋に」という幻想的なワードを使って、ありもしないエントリーを夢想する。

 

というか、偏りがあると居心地が悪いと思っちゃうからな。

dadaさんみたいなバランス感覚が欲しい、と思ってしまう。(その前にdadaさんって誰だ)

チャップリンの映画みたいな、どういう人が見ても楽しめるような、ユニバーサルデザインのブログを書けるといいな、みたいに思ってたりする。

それって棘がないから面白くするの難しくね? とか思ったり。

読者が増えるとプレッシャーも増える

ごく自然な感覚だと思うのだけど、読者が増えると、責任も増えた感じがしてなんか自由に書けなくなるのではないか? という幻想に囚われる。

逆に、読者が減ると、残っている人は精鋭たちだから何書いても良い、という判断になる。

これはニコ動の投稿も同じ。というか、ニコ動の基準をブログに取り入れてる。

自由に書いていいよ、というと、とりあえずダジャレを言いたくなる民度なのはしかたない。

ここで、じゃあ自分の投稿しているニコ動の動画を紹介するかというとしない。

完全に別けてるからね。どう考えてもブログ読む人と動画を見る人では趣味が違うので、それぞれ違う人が楽しめばいいじゃない、と思っている。

労力を分割して、相乗効果は期待しないの? しない。個人的なつながりがあれば別だけど、そこまでしてボクに興味のある人はいまい。

そう考えると、ちょっと変わったブログの書き方かもしれない。

そういえば、ニコ動もアカウントをふたつもってて、それぞれ別の動画を投稿しているのだから、全部見たことある人はいないだろうな。いわゆる底辺だし。

不思議な夢の作者

自分で見ていて不思議なのだが、夢の作者は一体誰なのだろうか。

自分の思考力では、あんな複雑なのは作れるとは思えないのだが。

 

今日見たのはロボットもの。合体ロボで、それが20機くらいある。敵と戦うと、一人を犠牲にして倒すことができる。そこで画面が展開して、戦う前にループする。ただし、一人最初からいなかったかのように。このループを仕掛けているのは敵か味方かわからない。味方はだんだん減っていくが、自分以外、誰も気づいていない。

いつも、同じ機体が破壊されて、その死を犠牲に逆転勝利するのだが、中に入っている人は同じ人だと認識されている。しかし、次のループでは別の人がいなくなっている。

そして、あるループのときに、自分がその破壊される機体の中にいると気づく。なんとか機体を動かそうとするが、全く反応しない。逆に、人工知能のようなものが、外界と通信してあたかも別の人が乗っているように振る舞う。そうして、破壊され、願う。

できるなら、戦闘前に戻りたい、と。

そして、ループする。

 

こういう筋書きを考えてるのは誰か、というのが問題なのです。

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