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眠気で思考が回らないときの備忘録

読書が進まない。

というのも、読書しているからだ。

なろう系を読んでいると、ビジネス書系は読めない。当然の話だ。

だから、控えなければ、と思いつつ、ハードルの低いのを読んでいたりする。

 

眠気というのは抗いがたい。どうしても眠い。

眠いぞ、と書くだけでも、眠くて進まない。

こういうときの学習効果は低い。

何しろ、本能が負けているのだ。

本能の欲求に従って寝るのが常道だけど、寝たくない感覚もある場合どうすればいいか。

記録を取り、その後の結果で、どちらが正解か白黒つければいい。

 

ジャンルで選んでる時点で、ネタバレと言えなくも無い。

去年のボカロ。

 

一年の計は元旦にあり。
つまり一年で一番計画倒れが発生しやすい日と定義してもいい。
一昨年は整地して過ごす、という明確なスタンスがあったが、今回はなんとなく年を越してしまった。ゲームでなし、ブログでなし。ボカロでなし。
こういうのを、なし崩しという。
突発的に本を買ったけど、ろくに読まないのは問題だ。
脚本の本だから、特に、感情をコントロールせよ、というのは目から鱗が落ちる感じで。
感情が左右されるような感覚があったとして、それが脚本家の意図だと思うものだろうか。感情は自分のモノだと思うのが普通だろう。

実際には、脚本で感情を買っているにもかかわらず。

正負の法則、セーフの法則

なんかツイートで見かけたけど、自分が不幸になってもいいからみんなが幸せでありますように! みたいな願掛けをしている人がいた。

この思想の、どこがいかんか? みたいな話。

これって、大前提として、幸福の絶対量が決まっているってなってるでしょ。

それがもう、自分的には受け付けない。

物事には表と裏があるの。

ある現象があったら、表の見方と裏の見方がある。

どっちの見方のほうが、感情的に抵抗が少ないか、受け入れやすいか、という問題でしかない。

どういう生き方をしようが、ハッピーに過ごすことは可能。そういう見方をすればいい、視点を持つだけで可能。

あんまり落ち込むようなことばかり考えると、アウトになっちゃうよ?

自分的にセーフの考えを持つ。これがセーフの法則(今考えた)。

メモを取れ 言った口から メモをせず

メモをしよう! 的なメモが、その意図とは乖離している気が。

 

「感情」から書く脚本術

「感情」から書く脚本術

 

 唐突に、衝動買いをするのが本限定なのがよきかな。評価の高い本をつい買って、より反映させたブログを書きたい(希望)。

ブログを書くのに使う筋肉は

メモを取れ、そして見返せ、その反復こそが筋肉や!

とか言ってみたり。

特に、言いたいことがあるわけでなし。

年末だからって、一年を総ざらいしようって風潮に一石を投じる。つまり空気を読まない。

素直にメモ取ってないといいなさい。

一年のボカロをまとめた動画を作ったあとで、大物ボカロP達がこぞって投稿したからってすねないの。

ブログ筋の話はともかく、リアル筋肉は衰えていて、コンビニ行くのにも必死になるのが現実。

習慣こそが人生を作る、と自覚はしているが、ついついサボる。そして後悔するのが人生というやつ。なんて哲学な。

 

この間の、本屋の隣のコーヒーショップで、コーヒーを頼んだら本を座り読み出来るというサービスで、注文して本を選んでる間に、親に席を取られていたという。

生まれたての子鹿並の筋肉痛で本を探していたのに、なんという策士か。自分は注文せずに椅子に座るテクニック。ある意味学習しました。

読書にいそいそ、考えむにゃむにゃ

読書の気分が乗らないなりに、アウトプットもしないとな、とか思ったり。

炎上ネタを挟むのは、流儀に反する、という理由でおじゃん。

昼夜逆転してても、日中は普通に過ごせているので、まだ大丈夫だと思いつつ。これがもう少し続くと、体力面で影響が出かねないと心配したり。

 

 

考えをリセットしよう、という、いつもの浅はかな考えで、メモをしていたり。そうすると、前のメモがでてきて、それも一緒にかたづけようとするから、混乱が生まれる。

マインドマップでないメモ。そういうの、もういいからとかいってみたり。

慎ましやかな思考は、後から発見するようなメモには何も、それこそ感銘するようなことは書いていない。くだらないことが書いてある訳では無いが。

ただ、その時のことを抽象的にかいてあり、後から振り返ることを考えてない、どうにも理解不能の文字列と化していることがある。

文字列には、確かに自分ならではの並び方がしてある。訛りというか、確かこういうのを表す言葉があったように思うが、すんなりと思い出せるほど、賢い人間ではない。賢かったら、今現在あなたが苦労して読む必要はないのだ、するすると読めるように書けるはずだ、と盲進してみたり。

 

それはともかく、今日は思考が巡らない。ぼやっとしてる。こんな日に、ブログを書くなんでできない、とネガティブなことを書いてしまうのでした。

超、思考法の洗礼

 

 セレンディピティを信じるなら、この本との出会いこそが導かれたものだ、と感じるかもしれない。いやいや、ただのオープンマインドでしょ、とか。

運命思考に準じるなら、スピリチュアル的な要素を体得するかもしれないが、残念ながらこの辺は管轄外だ。

オープンマインドであることは大事だが、どこで出会うか、となると、異文化に交わった時、というのが何か象徴的だと思ったり。

 

異文化理解力 ― 相手と自分の真意がわかる ビジネスパーソン必須の教養

異文化理解力 ― 相手と自分の真意がわかる ビジネスパーソン必須の教養

 

 カルチャーショックというのはどちらに作用するものだろうか。

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