今日のボカロ一曲。
反省をしない、という戦略が間違っているのは自覚している。
しかし、反省を的確に行えないのは、反省しないといけない。
つい、とらわれがちなのは、効率を元に判断すること。
しかし、効率ではその質を問うことができない。
判断すべきは、成果物ではないか?
成果物の質。それは計ることのできるもの。そこからの判断でいいかもしれない。
今日のボカロ一曲。
反省をしない、という戦略が間違っているのは自覚している。
しかし、反省を的確に行えないのは、反省しないといけない。
つい、とらわれがちなのは、効率を元に判断すること。
しかし、効率ではその質を問うことができない。
判断すべきは、成果物ではないか?
成果物の質。それは計ることのできるもの。そこからの判断でいいかもしれない。
今日のボカロ一曲。
読書前の感想。期待度の大きさが襟を正す。
リーダビリティを保つ、というのも、大きな目標。
発想の手がかりは得た。それを形にするのはまた別の問題。
形を与えられていない、未問題こそ、注目に値する。
例えば、「強さを求める」という指針があったりする。
その指針は、生物として普遍なもの。
人間の発想の外側の原理原則に従うもの。それを知覚できるかという問題はあるが。
それと、性格が追い求める性質として、「知性をいかんなく発揮する」という指針もある。
そちらの指針のほうがしっくりくるのだけど、それを言葉にしようとすると、普通は表現の問題にいきあたる。それは、あらゆる知的レベルの人間に響く言葉、というのを想定しにくいから。
ただ、背伸びしたいというお年頃の、「背伸び」に当たる知的活動が、ここでは表現されている。
果たして、大人になってからの「背伸び」とは、いかなるものか。
おそらく、常識という、平均値からは大きくずれたものになる。
常識的であろうとする、群れとしての生き方から外れることになる。
はぐれであろうとすることは、強くなければならない。でなければ飲まれてしまう。
「個としての強さ」と「卓越した知性」は共存できる。いや、共存しなければならない。
人間という、脆弱な生命は、その特色である知性に寄ってしか生きられない。
それはあくまで自然の理のなかでだが。
というところまで夢想したが、タイトルといくつかの感想を読んでの予備知識でこういう文章を綴ったがたぶん、『勉強の哲学』はもっと面白い内容にちがいない。
今日のボカロ一曲。
新しいものに飢える、という感覚。
安定、という罠。
信じる、という響き。
簡単に出会えることで、失われる緊張。
今日のボカロ一曲。
GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代 三笠書房 電子書籍
ギブアンドテイク、という言葉があるが、それを真に受けてはいけないよ、という話。
与える人と受け取る人、その中間、という分け方で、人を見るのが大事なんだとか。
成功する人というのは、Win-Winを心がけるのだから、当然、自分に与えて、相手にも与える、という考え方をする。
つまり与える人になりなさいという教え。
今日のボカロ一曲。
あとで選ぶ。
この一言が、救うこともある。
書き方が定まっていない時に、いくつか書いて、(本命を)あとで選ぶ、というニュアンスだ。
まあ、ナユタン星人さんは好きなボカロPだけど、アーティストというのはなんか違う気がする。
ボカロで作るから売れている感がするんだよね。
歌い手がついた楽曲が、それほど伸びなかったし。
曲を作る人が全員アーティストか問題とか認識しているわけで。
うーん、伸びなかったのはニコニコでの話で、ユーチューブなら、それなりに伸びている。
ユーチューブで売れているなら、アーティストっぽいね。
この差が、ボカロPとアーティストを分けるものだと思うのだけど。
今日のボカロ一曲。
メガネがまるで長年使っているがごとく、吸い付くように顔に収まっている状況に、違和感がないことに違和感があったりする。
それだけ、メガネが進歩したということだろうか。
アイデア大全という本がある。
アイデアバイブルといいつつ、ただのアイデアの羅列だったのとは違うようです。
本自体にアイデアが詰まってないと、アイデア本として情けないのです。
アイデアとは、問題解決能力のことである。
と定義するのは早計である。
例えば。作曲の場合。生み出す行為が快感であるのは、疑いようがない。
知恵、そのものが、脳にとって快楽であるといえそう。
ただし、トリビアではなく状況に適合している、というアイデンティティーがアイデアにはある。
つまり、アイデアはそれそのものが「私は誰か」という回答を持っていることになる。
そうなると、問題意識をいかに持つか、というのがアイデアの存在証明であり、アイデアの出る人ほど、自分自身に誇りを持っていることになる。