立場を入れ替えて考えるということ
これ、例えば、「彼女がいても出会いを探すのを止めてはいけない」とかいう記事でも良い訳だ。
それって女子がみたらムカつかない? というのが感想。
二股じゃないからセーフ、とかいうなら、どこからが浮気かどうかだよね。
男がそれやったら最低! って思うなら、女子がやっても最低なんじゃないかな。
彼氏と一緒に成長する方法、とかいう記事なら、いい女だなと株があがるんだけどね。
いい女になる努力(美意識だけでなく)をするなら、いいなと思うんですけど。
努力もなしにとっかえひっかえするだけなら、自分と同じレベルの人としか合わないと思う。
彼氏の定義をどう思っているか、だよね。
【追記】
婚約すればいい、というのが解決策として正しいのか。
婚約には当然リスクがある。
例えば、相手が子供の出来ない体かもしれない。
例えば、家族に問題を抱えているかもしれない。
あるいは、自分が秘密にしていることを相手に告げる必要があるかもしれない。それを公開するには、信頼関係が築けているのが前提だけど、それを構築する期間はあるのだろうか、とか。
自分のことはさておき、相手のことがよく見えないと困る。
なので、身辺調査を依頼する、という手段もある。
身辺調査には費用がかかる。それを安易にしていいのかは迷うところ。
あるいは、身辺調査で嫌な部分が見えたらどうするのか。
前科があったら。
借金があったら。
あるいは、婚活バーティーに参加していたら。
そういったことを考えていたら、当然、自分も身辺調査をされるリスクがあるわけだ。
身辺調査されても問題ないならいいのだけど。
継続は力なりとはいうけれど
学生の学習方法をまとめたものを読んでいたのですが、なるほど、確かにそうだと膝を打って読んでいたにも関わらず、それをいざ文章にしてみると、批判的な物言いになってたりします。
最小限の努力で最大の効果を、という基本的なことができているのに、なぜだろうと不思議に思っていたのですが。
動機が、受験勉強のため、と限っていたのがどうも引っかかっているらしい。
教科そのものの面白さを度外視しているような気がしたので、辛口になっていたらしい。
なんだかんだいっても、「やっぱり面白いよね」という意見ならともかく、
「やっとくと金になりまっせ」という主張だと、へー、そう。みたいな塩対応になってしまいます。
ロジックだけじゃ面白みにかけるのは、継続するのにしんどいと思ったのかもしれない。
毒気はあまり気に入らない
毒、というか敬意のない毒舌は意味が無いと思う派なので、たまにそういう文章にぶつかると考えるんですね。
いい文章、悪い文章とあるのだけど悪影響のあるのが悪い文章と定義してみる。
おっと、新聞のほとんどが悪い文章に含まれるじゃないか。いかんいかん。
学びのない文章が悪い文章と再定義。すると、大抵はいい文章になる。
悪意をもって書かれた文章が悪い文章となるので、まあこの辺だろうか。
通常の観測域にはない情報
おしゃれ、というワードが縁遠い自分としては、この「理屈でおしゃれはできる」なんて考えがあることに驚く。
最近みるようになったプレバトで、料理の盛り付けにルールがあるのを思えば、オシャレにも共通する最適解があるとは推測できる。
それが何かってことは、単純には分からない。
ただ、新しいことを学ぼうって意欲でこれをみるのは控えたほうがボクはいいかも。
もし出来なかったらショックだから。
がっつりやって、それでセンスの問題が出たらという先入観があるから。
先入観こそが問題なんだよ、と諭されても、だからこその先入観なのだし。
こそっとのぞく、くらいがいいかも。
そもそもどういう思想なのかを確かめるくらいはいいかな。
こわごわのぞいてみよう。
ムダなムダ話
トルコがざわざわっとしているというニュースを聞いただけでブログを書こうだとは思わないけど、枕くらいにはなるかな?という見立て。
あと、介助犬の話を少し。介助犬はお仕事をしているという感覚はなくて、群れのルールに従っているだけだから、へたに遊ばせると介助をサボるようになる、という話。
動物愛誤家はこれをどう解釈するんだろう、という単純な興味はある。ああ、愛誤は誤字じゃなくて、愛し方が誤っている人ってことで。
EUにトルコは入ってたっけ?と、あやふやな知識では判断がつかないけど、トルコリラの通貨の価値が下がっているらしい、とは聞いた。
トルコは、以前にもクーデターが起きたことがあるとかで、慣れていることとはいえ、住民はたまったもんじゃないな、という感想。
トルコがEUに加盟の芽がないからといった、EUという「群れ」から離れてオイタをしているようでは、周りにしつけられるよ、とは思う。
その周りが、EU加盟国か、ISISかは、分からない。できればEUであってほしいけど。
小学生にタスクの抽出はムリ
いいことやってる人がいると嬉しいですね。子供に一日のタスクとして宿題がある状況ならなんとか本人に対処できるかもしれないけど、夏休みの宿題としてどかっとある場合は、対応能力を越えることは想像に難くない。
習慣化の法則を取り入れるとするなら、まず最初の一週間はスロースタートがいいかも。スローでも確実に宿題を習慣に変えること。
普段とは完全にリズムが狂うから、それに慣れること。
あー、自分の時もITが欲しかった。
GTDに欠けているのは習慣化に必要な知見
タイトルまま。
GTDはタスク管理の手法としてたいへん優れているが、問題がないわけではない。それが挫折につながる。
まずひとつは、GTDを見直すことがタスクとしてあるが、それ自体が新たに身につけるべき習慣ということ。
タスクを見直す習慣のない人にとって、それはGTDそのものを習慣化するタスクとバッティングするおそれがある。それがストレスというわけだ。
もう一つは、GTDで行おうとしているタスクが、習慣化を必要とするタスクであることがある、という点。
ただでさえ、GTDは習慣化を必要とするのに、それに上乗せして習慣化を行おうとする場合、相当な確率で破綻するわけだ。
習慣化可能なのは、月に1つ程度。
そういう基本が分かっていれば、破綻を避けることができる。