7つの習慣、という本がありまして。そういう本を読んで、そこから学ぼうと意識するのは重要です。とくにそれを否定するものでもないです。
ちょっと最近気になっているのは、将来を設計しましょう、というシステマチックに未来を設計しようと提唱する物の中に、人格を磨くことを織り込むものがある、という点。
それ、居る?
未来を創る。それはいい。でも、自分自身を磨くかどうかは自分で決めるもので、押しつけられると、なんかいや。
というだけの話です。
未来設計では、将来の自分像(よくあるのは、死後にどう言われたいか、という名誉欲を刺激するもの)を組み込むことで、将来の指針を作る、というもの。
そこは、価値観が違う人には通じないのでは。
一般論で、それが普通、を押しつけられるような感覚があったり。
無私の人物になりたい、という人もいるはずで、そういう人には通じない。
それでも、未来を意識しないとやばい昨今。生きていけるか怪しいのに、危機に対応しないのはありえないわけで。
将来を描く、というのは、やって損はない。5年後、1年後、一ヶ月後、一週間、今日、とタスクを下ろしていくだけだから。
価値観に沿って、まんべんなく満足いく時間をすごせるように、タスクを決めて、こなしていく。価値観はおのおのに任せる。それだけでいいような。