小説の構造が気になる
伝説のユキマスターが帰ってきました。
さて、小説の分解読みを進めている。アウトライナーに、文章をまるごと乗っけて切り分けていく。
細かく見ることになるし、手間なのだが、それで今まで気付かなかったことに気付く(大抵は読み飛ばしが原因)。
アウトライナー実践入門の影響でそうしているのだが、効果はバツグンだ!
まあ、ネット小説だから、そこまで手の込んだ構造ではないだろうけど。
それで、その成果は何か? という疑問が出てくるかもしれない。
まだ始めたばかりだから、自分の血と肉になっている訳ではないが、習得できるスキルは予想がつく。
それは、書きながら文章の構造を気にするようになるだろうってこと。
んん? それってメリット?
自分の書き方は、かなりの行き当たりばったりなので、
『こういうことを言いたいから、まずは事前に読者にこうこういう前情報を与えて、それで前提条件を理解してもらおう』
みたいな、前振りをしないんですよね。
良くやるのは、言ってしまった後で、
『例えば、こうこういうたとえと同じようなものだ』
な感じの、後付けで理解を得ようとすること。
自分の感覚ではそれで問題ないと思っているのだけど、それはそれで最初に読む段階でハードル高いよね、ということに気づいたのだから、分解読みの成果がいま出ているのではないかな。
場面に合った方法で書けるようになるといいね、と自分を励ましつつ、分解読みの続きをしてみようか。
書くスキルは、絶対量に依存する
いつも通り、というコメントが印象的でした。だから人気がある。
さて、ふりかえりのイロハも知らないのにふりかえりをするという暴挙も、一月も続けば立派な、ふりかえりです。
ふりかえり、一見するとただの日記、という。なら日記と呼べば良いじゃん。しかし、ふりかえりと呼ぶことで、意識がかわることに期待しているのです。
意識、それも課題なんですけどね。課題だらけで大変だ。
運動系でいえば、肩こりを防ぐのが第一、第二に軽い運動をすること。と、今決めてどうする。そういうことはブログでなくふりかえりでやりなさい。
文章を書く機会があると、ブログなのかふりかえりなのか、認識しないのが問題です。意識して、使い分けることもないかもしれないけど、ここはブログなのです。後から切り取ってふりかえりに再利用するのはなんか違う、と感じていたり。
と、わざわざ注釈するのはブログに書き下ろしで書いているからでした。
未だ、ブログをどのように書くか、あるいは効果的に書くか、確立していないので、書き下ろしでもなんら問題がないのは問題だ。早急に、下書きの概念を導入すべきなんだけど、下書きを書くスキルがないのだから、これはしかたがない。下書きを書けない、という意味が分からないかもしれないが、別のところにいったん書く、という対処はなぜしないのか。なんか違うように感じている、それは感性の問題なので、まあ、それをどうすればいいか、まだ悩んでいるのだけど。それだと、クオリティの問題がいずれでてくるのだけど、それを悩むほどクオリティの高いアウトプットを出せるのかといえば、まだ出せない。だから悩む段階ではない。まずは、書くスキルを育てることがさきだと認識している。書く絶対量が足りないために、スキルというか引き出しがなくて、書くことにわだかまりができていたりする。
これは、やっぱり書くことを積み重ねることでしか解消できないので、まずは書く。考えてかけるようになるのはまだ先の話だと思っている。
タスクは管理しても管理されるな
このマッシュアップ、何回も聞いている。
それはそうと、考えていることがある。別に世界平和とかではない。
ざっくりいうと、タスク管理とかカイゼン界隈の話。果たして個人でできるものだろうか、という考察はあるものの、やれる範囲で、と注釈を入れるなら可能でしょう。
たぶん、自分と同レベルのタスク管理をしている人の話を聞きたいんだと思うけど、そんな初歩レベルの人は発信をしていないという問題がある。
恥ずかしいからね。
まあ、ここ一月ほど、振り返りをするようにしたら、なんだかはかどっている感があるのだけど、それをどう共有しようか、みたいなところがある。
数時間おきに、気付いたこと、あるいはうまくいった、いかないを書くってだけだけど、その、「注意してますよ」って自分にアピールしているのが、なんだかうまくいっている原因だと思う。
大抵は、病気とかで、動けなくなってそういう更新が止まるのがおきまりのパターンだったけど、今回は風邪をひいてもできた、という難易度の低さ。これに味を占めて、難しくしたら、手痛いしっぺ返しがくるかも。
とにかく、うまくいってるよ、という話です。
ただマイクラについて語る
今日の一曲。ヘビロテ。
さて。書きたいのはマイクラのこと。マイクラ、進んでません。モチベーションの問題だったり、録画の問題だったり。
一番の問題が、グレッグでやる場合に、どこまでも草刈りにでかけてしまう、計画性のなさだったりする。
それはそれで面白い、という見解もあるので、一概にはいえないのだが、それでも動画にしようがないのは困りものだ。
動画に求めるモノ。それがあいまいなのが、製作が進まない真因だったりしないだろうか。ありそう。
というわけで、動画でどんな結果を得ようとしているのか。
マイクラ好きと話をしたい、だろうか。あるいは、世界観を共有したい、だろうか。
どうも、そういうことではない。
それなら、協力プレイをすればいいことだ。
そうでないのなら、何を見せたいか。
とびきりの、プレイ。それを見せつけたい。そういう願望があるのかもしれない。それなら理解できる。到底できそうもないことを、動画にする。その意義もある。
となると、交流するのは、ファン、ということになるか。ファンとなんの話をするよ、自分。
その人なりのプレイがあるよーってことをいいたいのかもしれない。
タダの、一プレイヤーにすぎないよ、的なことを、動画にしてる感がある。
動画には、ただ掘っている風景しか映ってない。それに意味を見いだす、というキャラには興味がある。
それ以外のトークに価値を見いだす人がいたら、それはそれはご愁傷さま、と声をかけようか。なんて不便な人格だろうと。
眠気で思考が回らないときの備忘録
読書が進まない。
というのも、読書しているからだ。
なろう系を読んでいると、ビジネス書系は読めない。当然の話だ。
だから、控えなければ、と思いつつ、ハードルの低いのを読んでいたりする。
眠気というのは抗いがたい。どうしても眠い。
眠いぞ、と書くだけでも、眠くて進まない。
こういうときの学習効果は低い。
何しろ、本能が負けているのだ。
本能の欲求に従って寝るのが常道だけど、寝たくない感覚もある場合どうすればいいか。
記録を取り、その後の結果で、どちらが正解か白黒つければいい。