星野源さん、テレビ番組で「人見知り」についての持論を述べる「すごく納得した」「耳が痛い」 - Togetterまとめ
「私は失礼ですよ」と自己紹介するのと、それをしないで素で失礼な受け答えをするのと、どっちがマシかという話になってくる。
2017/04/30 17:08
「私は失礼ですよ」と自己紹介するのと、それをしないで素で失礼な受け答えをするのと、どっちがマシかという話になってくる。 - yumekurage のコメント / はてなブックマーク
他の人のコメントのほうが役に立つ。特に、悪徳な人はこの見識を悪用するぞ、的なものが。
さて。最初に人見知りという言葉を、「誰が」使うかといえば、それは親だろう。
親が、子供を人に引き合わせる時に、前提として、性格を言付けるのはよくある風景だと思う。
子供は自然に、その言葉を覚える。
「この子は人見知りで」
といった親の言葉を、疑う子供なんているだろうか。
あとは、自分でも人にあったときに自称するようになるのは自然な事だと思う。
親心を自称する、というイタイ行動をしていると気づくのは、けっこう後になってからだと思う。
さて。人見知りというのがマイルドな表現だった場合。本当はもっと重要な発達障害を抱えている場合。
人見知りという一言でくくれない、もっと失礼な行動をしますよ、というのが分かっている場合は、余計なトラブルを未然に防ぐ、という意味で自称するのは仕方ない事だと思う。誰だって、見栄ぐらいは張りたいものだ。
もっとひどい水準なのに、人見知りというマイルドな表現に抑えている場合というのが往々にしてあったりするのでは? と推測する。
これを、ただの人見知りだと理解するのは、手痛い失敗を招きかねない。
下駄を履かせてもらっているのに、ただの人見知りだと、その下駄を取っ払いかねない人はいる。
そういった人に、言質を与えたのが、今回のテレビの持論だと思う。
悪い方向に行かなければいいのだけど、と思うのは余計なお世話だろうか。