ボカロとマイクラが好きな、聴くブログ

ボカロとマイクラが好きな雑記ブログ

follow us in feedly

脳の回転をよくする、というアプローチを試してみた。

まだ結果がでない。とても視界が広がった気がするのですが、その理由の8割はめがねを洗った効用のような。

ともあれ、脳の動きにはこだわる。

そう、こだわってしまう性分なのです。こだわりは、問題を生じさせることもあるのですが、ユニークさの源泉でもあります。

ユニークさ。自分はお笑いに興味というか、落ち込んでるときには必ずお笑いをみて発散させるようにしてます。お笑いには元気にさせる切り口があるのです。

しかし、お笑いが嫌いな人というのもいまして。二パターンありまして、ひとつは暴力的な笑いが多い、というもの。

誰だったか、関東人が関西人に嫁入りし、姑にアホアホいわれて落ち込んで、旦那さんに

『お義母さまにアホっていわれてとてもつらいの』

とか言って、

『それはお前がアホや』

って返された、って話があって、

そういうのに言葉の暴力だ、と反応する人だと、お笑いはきついかもねと思ったり。

もう一つは、これにつながるのですが、笑いのセンスがない人がまれにいたりします。

ツッコミを入れられたボケの人に感情移入して、さぞかし恥を感じてつらいに違いない、笑われて心のもちように苦しんでいるに違いない、そういう解釈をごく自然にしてしまう人がいるのです。

そう言われると、理解できなくもないのですが、普通の解釈とはずいぶん違うと思うのです。

よく、常識を害のない勘違いしている人に対して、勘違いさせたまま放置していつ気づくかを温かく見守る、なんて遊びをする人がいますが、そういうセルフどっきりイベントは是非が分かれる気がするのです。

毎日ブログを投稿しよう、と思ってから24時間がたった

ブログ、というメディアで書いておこう、という志があるわけでもなく。ちょっとした意識改革です。

ブログとしてフリーライティングをすると、一体何を書くのか。というか、単純に、人の目を意識しないでかいた文章が使えない物だったので、ピリッとした緊張がほしかったという。

何か、題材があればいいのだけど、それを言っても、発想が出てこない。今聞いているボカロの話をしてもなー、という。ボカロを語っちゃいかんのん?

ボカロでね、大抵、最近の曲っていったら、3年以内の曲を指すんじゃないかな、というのが観察から得られた感想。3年。たったの3年で寿命が来るのか?

いや、千本桜はどんだけかけんねん、ってくらいテレビでも露出しているし。

ここで、自分のファーストボカロが千本桜というのが痛い。刷り込みで、これが標準のボカロだと思っているから、それ以下の再生数だと凡作っていうイメージ。大まかに言えば。

そういう不都合を持ちながら、では、一般の曲の認識はどうなっているかというと、多少、アニソンを聞いているくらい。それも、かじったくらいで、曲名すら知らない。そう、曲名覚えないので、カラオケでえらい目に会うのは私です。

さて、こういう風に偏見がちなのにボカロについて語ろう、的なのはムリなのです。どう考えても、公平な見方ができない。

いくつか、発表当時は苦手だった曲はある。理解の範疇から外れた、若者の感性に刺さるように作られた曲とか。

脱法ロックとかが意識した最初かな? あれをちゃんと聞くのは、絵に慣れるのにずいぶんかかった。

ああいうのがちょくちょく生活圏に入ってくるのが今の若者なのか? 的な感想をもったり。

そういう感性があることに驚きつつ、なんで驚くのかを考察したり。そうなんだよね、あれ、作った人物の精神構造とか多少気になる。

デスってる訳ではない。くっきーさんの絵が評価されるのは、そういう価値観を持った層が、一定以上居る、という証左だし。

ディスる、がちゃんと打てるのに、適当にごまかすタイピング。

おお、まともな文章になっている、と感動。発想が、書く前には1ミリ程度だったのが、書いてみると成長して一見して何か言っている風、というのが素晴らしい。自画自賛

書いている最中、ツイッターが見れない、なんていうどうでもいいことを思ったり。ながら作業のながらって、何ができるのが理想か問題。

理想にはリソースが必要なのです。

だじゃれの価値、というのがある。

だじゃれが発想を飛ばすきっかけになることもある。能動的にやることもある。

大抵、大やけどをするけど、たまには良い結果をもたらすことがある。それがやめられない。まあ、パチンコと一緒。

パチンコで思い出したのがエヴァンゲリオンだけど、音楽を思い出そうとしてターミネーターの曲を合わせたのは間違いでした。

そういえば、エヴァンゲリオンのトリッキーな動きにはモデルがいる、という話があったり、ポニョのモデルが動きそのまんまなのをテレビでたまたまみてたり。

千と千尋で、ラーメンを両親が食べているシーンで、自分の動きとそっくりなキャラを書くアニメーターが居たのでは?っていう疑問が。アニメで自画像を描く羽目になった人物は実在するのか。

そういった疑問とか、放置している、まとまってない記憶がいろいろとある。ちゃんと書いて、供養してあげるのがいいんだろうけど。

そのための新しいキーボードです。

そ、配列を新下駄配列にしただけでは飽き足らず、エルゴノミクスキーボードを買ったのです。

ちょっとでも、手にかかる負担を減軽しよう、という発想。でないと長時間書くことができないから、というありがちな話。

そう、ブログを書く、という話もそこから来ている。

毎日書く、というのは、他人の目がない状態では既に書いていたけど、それでは問題がある、と思ったから。それは思考に張り合いがなくてダメなんじゃないっていう。

書いている内容に自信があるわけではない。多分、100日くらい、それこそ誰かがくたばるくらいの期間、続ければ効果があるかも。

だんだん手癖が見えてきて、それをどう修正するか、みたいな話になってくるのではと予想。

予想は予定外で感想は未知。

それっぽい言葉を(考えずに)挟むと、勝手に相手が深読みして沈んでいくという。そういう策略でそんなのにかからない人がたくさんいる。

そうそう、ボカロ以外の趣味で、なろう小説を読む、というのがあるけど、あれも特徴的なんですよね。

おお、考えてたことをロストした。忘れる時は、きっぱり忘れる性格なので、言い淀むと、その直後に、相手が気をつかって言って良いよ、と話題を振っても、とうに忘れているので困惑するという。

たまたま記憶が戻ったけど、文字数っていうのを基準になろう小説を読むことが多いんだけど、アベレージ、平均文字数が2500字以上ってのがよさげなのの基準と認識してる。

そうなると、このブログも平均2500字を目指すべきではないか?と考える、多少見栄を張って書けるぞ、と思って書いてみるのだけど、やっぱり2500が遠く感じているようでは、ブログを書けている感じがしないです。

知り合いには1万字のブログを基準にしてるひとがいて、そんなに書いてどうするの? という純粋な疑問。

さて、ここまで書くのにどれくらい時間がかかったか。40分ジャスト。

そんなもんか、1時間で2500字くらいは書けそうだな、と取らぬ狸の皮算用をしてたり。

毎日毎日、そんな書くことがあるわけがない、と思うのだけど、。

プロは書くことがなくなってからが勝負、という言説がどこからか流れてきたり。

短距離走で、追い込んだ後にもう一本走るのに似ている。

限界、と思っているところから絞り出すのが、コツだと思っている人が結構居るってことね。

多分、なんらかの実感を持っていて、それを他人も持っているだろうと予想して押しつけているのだろうけど、それは相手が覚悟している場合にしか通用しないという。

嫌がっていることで、それをやられると、メンタルがやられる、という単純な構造。

というわけで、メンタルの保護のため、ブログの毎日投稿はしないぞ、と逆に誓ったり。

 

アホなレビューに同調が多いのを目の当たりにして。

普通にむかついている。

好きな本をけなされると、むかつくものですね。

しかし、それが書かれたのは、2年前。

時を隔てての、むかつき。意味がない気がするけど。さすがにこれだけ時間が経てば本人も間違いに気づくと思うけど。

 

まず、高学歴を必要もないのに書いている。難しい専門書も読んでますよアピールでしょうけど。マウントを取る必要があるのか? 自分は、だから批判する権利があるのだ、という思考だろうか。金払ってりゃ、誰でも何かは言えます。

で、著者に向かって、伝える意思を感じない、と続く。

ここで、ん? と。職業作家じゃない人の本だと認識しているのか?実用書に、伝える意思がないって変じゃね? 英語の教科書が読めなくて、『伝えようとする意思を感じない』とか言う? 辞書とか最初から読む? 引いて使う、そういうスタンスの本でしょうに。最後まで読んでレビューを書いているのでしょうから、本の作られた意図は分かっているべきなのに、理解してないと見るべきでは。

続き。で、鬼の首を取ったように、とある言い回しを、著者が勝手に言っているだけ、と言っている。

アホか。

ものすごく、出典を明記している、まあ漏れがあると指摘しているブログはあったけど、ほとんどの出典を書いているのに、根幹となる章立ての引用をちゃんと書いてない、という指摘だと思うけど。

書いてないっていうことは、作者オリジナルの考えってことではないの?

作者のオリジナルを指して、引用がおかしい、と指摘している訳だ。

本当に高学歴なら、これくらい気づくでしょ。

類書から引用したと、その人は思い込んでいるようだけど、じゃあ、間違いを指摘する、しかも引用に関する指摘なら、元となる本から引用しないと筋が通らないと思うのだけど。

で、その後、恥ずかしげもなくこう言っている。

『答えは、図書館でしらべる、です。』

それを言うなら、レファレンスを使って調べてからレビューしても遅くないんじゃないの? と疑問に思うのだけど。

その前に、裏をとってないと明言しているので、裏をとらずに人を批難する人なんだな、と。へー、高学歴だと証拠もなしに人を批難してもいいんだ、へー。

で、まとめに入るのだけど。

『わざわざ面倒な方法ばかりとっているとバカにされるぞ』

という、チェシャ猫の言葉を書くんだけど。自己紹介乙、っていうんだっけ。

で、作者の性質をラベリングして、別の人が書いたらもっと読みやすくなる、という指摘。

で、実用書に対して、使えるかというレビューを全くしていないのは、どうなのか。

 

みたいに、自分なりの解釈を書くと、意外とすっきりするものですね。

現在のマイクラ動画の流れを知らない

どういうのが流行っているのか、知らないです。

昔のも、特に知らないですし、バーチャルユーチューバーがよくやっているらしいことまでは知ってますが、実際に動画は見ていません。

いまから動画勢の流れを知るには、どういうのをみたらいいか、ちょっと考えてみるか

結局マイクラのバージョンはどっちがいいのか

だいぶ長くやった、1.7.10。

現在のワールド、1.12.2

MODによって決めているところがあるので、決定打となるMODが何がいいか、による。

今の、1.12.2を使っている理由が、MODが多そうだから、なのだけど、MODの供給源が1.7.10は閉じてしまった、という点が問題だから移動したのがホントのところ。

 

モチベーションの問題、というのはある。新要素が増える可能性が狭まると、やはりマンネリとなる。

 

自分の基本方針である、大規模建築、というのをフォローしてくれるMODが必要なのだけど、その、希望しているMODが1.12.2にあったことで、移行した。

 

 

世界物語大事典という本を飾ってある。

昔、4コママンガで、

『やらなくていいゲームはないか?』

という内容のものがあったが、世界物語大事典も、読まなくていい本の部類に入る。

これを持っているだけで、

 

ファンタジーのことで知らないものがあったらすぐ調べられるぜ、へへん。

 

なんて感覚を持てる。それくらい、充実した内容だ、たぶん。

ちょっと気軽に読もうとして、意外と『すでに原典を読んでる前提』の内容があったりで、読み解くのに結構時間がかかりそうだ、となってから、これは、何か読むきっかけがないと入り込めないんじゃないか、という気にもなってくる。

 

それにしても、紙の本(よく物理的な本と自分は表現するけど)は久しぶりに買った。買って、数ページで読むのをやめるので、まだ読み時でないかもしれない。

これがパソコンのテキストだったら、読み上げさせるのにと思わないでもない。小説家になろうのサイトで読む時よくやる手だ。

 

読み上げの効能は計り知れない。耳で読んだほうが内容が入る、飛ばし読みが絶対にできないので、細部まで気を使える。ながら作業ができる。なんと、読みながらゲームができるのだ。Minecraftをするとき、耳は小説で埋まっている事がよくある。

恋愛甘々なシーンでも、ゲームではゾンビに襲われている、ってことも考えられるので、あまり情緒はないかもしれないが。

 

 

今日は気分がいい

個人的に、処方された薬が合っていて、よく効いているというだけの話。世間で何が起きているか、というのは全く関係ないわけで、過剰反応はイクナイ。

 

ボカロを良く聴いているのだけど、なんか久しぶりに聞いたような気がする。歌詞とかめっちゃ無視するからかなー。途切れ途切れに聞こえる単語に、ピンポイントで情緒を感じたりするのがいいんだけど。

 

懐かしい感じといえば、今書いているブログも、ほとんど忘れかけていたのだけど、薬の影響で、こんなところにも気を配ることができますよアピールといっていいだろうか、そういう感じです。

 

そういえば、疲れて寝る、というのは、そう短時間のサイクルにはならないのはメンタルが強いのがデフォの人が多いからかな。一日に何回も寝ては起きて、を繰り返していたのだけど、どうも、メンタル的に弱っていて、起き続ける意思がなかった、というのが本当のところかもしれない。

 

気づきを得たらブログを書こう、なんていう現実的ではないプランを立てたのはどこのドイツだろう。なんと言おうが、書く。それで、気づきを得たら、書く。得なければごまかす方法を考える。どちらに転んでも、文章力がつく、といいなー。

文章力の鍛え方にフォーカスして、それならこういう訓練法があるよ、というのをみて、実際にやっているのだけど、未だに何かが向上した、という感覚はない。どうも、分量がまだまだ少ないようだ。もっともっと書かなければ。

 

 

follow us in feedly ** 注意 - Web Speech API非対応のブラウザでは音読できません */ (function () { if (!window.speechSynthesis) return; document.querySelectorAll('article').forEach(function (article) { var button = document.createElement('button'); button.type = 'button'; button.className = 'btn'; button.textContent = '音読する'; button.style = 'float: right'; article.querySelector('header').appendChild(button); button.addEventListener('click', function () { var synth = window.speechSynthesis; var body = article.querySelector('.entry-content').textContent; var utter = new SpeechSynthesisUtterance(body); synth.speak(utter); }); }); })();