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問題意識を書けないのは問題ではないか? という問題意識

トトロだけど。

ブログを書く、それを誰かが読む。

誰かに刺さる文章を書く、というのは大前提だけど、何が刺さるかは分からない。

問題意識(例えば、誰もが批評するようになったが、不寛容との違いが分かっていない人がいるとか)を書けば、刹那的に、問題意識を共感するのだけど、共感するだけで満足して、その問題の背景とかを考えずに、問題意識ごと消費するようになる。

問題の課題は何か? みたいな、一歩先に進む方法を模索するではなく、0から1に意識化、見える化されることで満足、という結果を生むことは多くないか?

既に、タイトルとの差異が出ている気がするけど。

問題を見える化する、というのは大事だけど、それってブログの役割だっけ? とか思ったり。

ブログというインプットだけでは、読者は行動しない。

もし、問題意識があるなら、何か行動に繋がるように対策を考えるのが自然な流れだと思ってたり。

もちろん、見える化自体に価値はある。あるけど、それだけでは消費の対象にされかねない。

行動とは何か? プログラミングだ、というのは飛躍しすぎだけど、行動力もプログラミング能力も持たない自分には定義しにくい。

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