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影響は環境

今日は普通に過ごす、ということを考えている。つまりインプットを心がけるくらいのニュアンスです。
それがプラスかどうかは、アウトプットをするかどうかにかかっています。アウトプットをしないインプットに価値がない価値観だったらそうなるでしょう。そういう風に生きたい願望があります。
昼寝のすさまじさは、それが昼だろうが夜だろうが、品質として均等であるはずなのに、なにか違う気がするところでしょうか。昼に寝ている、というのに、どこか贅沢さを感じているかもしれません。
その意味するところは、得をしようという精神かもしれません。
なんだか得をしている気分になるから、昼寝をする。
損得で動くのは、損、という鉄則に当てはめれば損なのですが、そういう錯覚をしていくのが人生だ、と諦めムードです。
どうでも良いことを書くのが俳句、という名言を、テレビで見ました。いつだったか。
記憶を探る際は、本人にとってはリアルタイムで脳内再生されているのだから、いつ頃の情報かなどは自分は気にならないのですが、裏を取る作業が身についている人にとって、許せないものかもしれません。許せない、という感情が、視野を狭くしているのですが、それは年齢が解決するものであり、解決しないならば、その人は若々しいと判断できるかもしれません。
身近の知り合いをネタにする人がいますね。
それが、良いことかというと、身バレが本人の意志によらないので、止めたほうがいいのは明か出る。それでも出す、という意志が、フェイクを織り交ぜる文化になりました。
フェイクを入れる際、つじつまがあわなくて、それが話題の主となるケースがあります。そういう雑談が面白い場合もありますが、これが相談の場合は、意図しない結果であり、悲しい現実がたぶん、ネット以外の現実でも当人には起きていると推測できます。
フェイク文化でもわかる通り、つじつまをあわせるのは、けっこうな問題です小説家はそのへんを曖昧に書く能力に長けている人がなる職業でしょう。つまり、技術的には冗長な方が、小説向き、ということでしょうか。
自分にはない才能なので、フェイクのできる人がうらやましいです。
しかし、そういう人がみな小説家になるかといえば、ぜんぜん違います。
その才能をいかんなく発揮する、といえば、詐欺師が思いつきます。
迷惑メールの才能、という形で発揮されているのです。
その、誰にも読まれない文章を、書く、もしくはそれで勘違いするようなレベルの読者を獲得して満足するというメンタルなのは、個性で済まされないでしょう。
詐欺師のすべてがクリエイティブかというと、マニュアルをつくる才能とか、つまりは普通に会社を経営すればいいのに、と思う人材もいるでしょう。
詐欺師は、脱税をしている、という考えもあるので、もうすこし、有効性のある職業を紹介するから廃業しないか、と誘うことも可能かもしれません。
まさか、自分は正しい、という感性で詐欺を働く、という人間の話題を観測することになるとは思いませんでしたが。

今、作家の日記を読むのが日課になっています。その継続期間は二日。それは三日坊主には負けますが、このところ一日で飽きることが多かったので、そういうリアクションを取っていること自体がニュースです。
それで、日記を書くことが、ビジネスになる、というモデルのその作家をまねて書いてみることを思いついたのです。
一定の分量を書く練習もしたいですし。
自分の能力を過信するのは、よくあることです。
それ自体は責められるものではありません。
有言したときに、関係する人に迷惑をかけた時に、どう反省するかでしょうか。
反省することを人生に織り込む、というのは大切な気がします。自分は一切そういうことを考えたことがありませんが。
 
ネットで、いろんな人にチャンスが訪れるようになりました。
通勤電車が苦手だ、という人にも、リモートという道ができたので、継続して仕事が可能になりました。
そういう、本質でないところで人生を諦める人には、テクノロジーで対応されればいいのですが。
それで、変化していく日常ですが、偏見は時代遅れなものになっていく、ということが考えられます。
というかメディアで醸造される、あたかも存在するかのようにふるまうマスコミ謹製世論というのは、SNSを介して、徐々に変化して行ってますね。
それが良いか悪いかは置いておいて、ネットに触れずに生きていける人種は、変化のスピードがネットと違ったものになりそうです。
ネットの興味というのが、数日で忘れられるのに、その中で粘着する人は継続して粘着し続けているらしい、という情報が観測されます。
それも、変化に対応できない人種でしょう。
共通点はあるのか、という議論をしたいのではないですが、一見すると類似しているように見えるコトに、早急に結論をだしたがるのが、ネットで情報に加速度的に触れている人の考えかもしれません。
変化できる、というのは、アドバンテージになりうるか、というと、それ単体ではならないでしょう。
それが今の環境に適応しているか、という観点が抜けている場合は意味が無い。
肉体的限界が一番のネックになりますが、それがあることで、

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