特にいうことはない。
終わり。
なんていうのは、あまりにも笑いのセンスがないので、ちょっと頭をポカリと叩きつつ。
今日はなぜ書いているかというと、書くのに抵抗がないから。
Scrintalを使っていたら、適当にリンクを作っていたら、はてなもやるといいのでは?と作ってみてからの。
執筆。
それはそれは、なんてハードルの低い。
執筆のハードルを低くしよう、というのが最近のトレンド。「メモの魔術」とかいう本の影響。
メモのハードル、書くハードルを低くするのが思考の秘訣、とかなっているから。
では、ハードルが低いのはいいとして。
クオリティが低いのは、どうしたらいいのか。
質を上げるには、たくさん書く、それが前提になっているのは分かる。
たくさん書かなければ、いわゆる引き算ができない。
引き算をして、密度を濃くすることが欠かせない。
それをブログでは、密度が必ずしも必要ではない。
書くことを継続することが大事、とは言うけれど。
継続にクオリティが伴ってなければ意味がないのでは?とか思う派です。
とは言っても、今までのブログのクオリティが高かったとは、初耳なのですが。
Scrintalを使うことが、思考の変化をもたらしているのは確か。
しかし、それを有効に使うだけの根本的な情報力が欠けているのだけど。
自分の専門分野がない。
あえて言えば、ビジネス書界隈が専門分野。
それは、あれではないか?
とか思わないでもない。
ボカロは好きだけど、その好き度を言語化できているわけではないので、ブログに書くことができない。
その曲のなにかを、語るのはたぶん感想ではない。感想は技術が要るものだという認識。
感想は、観察力をフル活用して、それでようやくできるものだから。
一般的な感想の積み重ねでは、それはできない。
細部に気を使って見る、という当たり前ができない。
それは、他の人がボカロ感想を投稿しているのを見て始めて気づいた。
と言うわけで、言語化のハードルっていうのは未だ高い。
しかし、それは言語化の型を知らないからでは?とか思ったり。
言語化って、今までの積み重ね、文脈がどちらかというと意味がある。
知識の羅列ではなく、知っていることを前提に、解説であったり、そこから感銘をうけたことを書けば、ようやく感想になるかも。
そういう、ハードルを自分でつくるから。
だめなのでは?
といったところで。
思考の転換をしたい。
書くことにこだわりがあるか?そういう発想をたびたびする。
書くのが好きか?といったら、あんまりなんですよね。
あんまり好きではないが、書くことが必要だから、書いているような。
書く、というより、思考するのが好きではある。
しかし、書く事で思考が深化することを検証して、理解しているので、可能ならば思考には執筆も伴いたい。
但し、眠い時に書くのは勘弁して欲しい。
書くのと、眠いのとでは、眠いほうが勝ってしまうから。
眠いっていうのは、あらゆるパフォーマンスを低下させるのだけど、自分のパフォーマンスに自信があるわけでもないのに、眠さを維持しようとしたり、意味不明な思考をしたりする。
自分には、書く以外に技術を持ってない。
しかし、書くのにプロットを用意しないっていう致命的な欠点がある。
書くのに、プロットは大事だ。
自分の書く方向性を知らずに書くのは、どうしてもクオリティが低くなる。
まとまりがない文って読むのが大変ですよね。